\栗原隆誕生/
新宿生まれの新宿育ちです
父の留学先ロンドンにて
父は仕事が忙しく不在がちでした。真面目で寡黙ですが、未だに私を陰から見守り、どんなことがあっても支えてくれています。父親と公園でキャッチボールをするのが大好きでした。
小学生の頃
小学生の時は、真面目で勉強もできました。正義感が強く小さな不正も許せない子どもだったと思います。それで喧嘩になったことも多々ありました。喧嘩っ早かったです。よく同級生を泣かせて、母親が謝りに行っていました。でも、明るく学級委員タイプだったように思います。先生から物事を頼まれたり、人をまとめたりすることを頼まれるタイプだったと思います。
文京区立関口台町小学校に入学しました!
好きだったのは本を読むこと(探偵小説など)、音楽(クラシック・映画のサウンドトラック)を聴くことなどでした。宇宙に興味があり、将来は宇宙飛行士になりたいと思っていました。小学5年生から犬を飼っていて、その子と遊ぶのが好きでした。大学生の時に死んだのですが、その時は大泣きしました。
毎年夏は、家族で伊豆にある祖父の別荘に行き、海水浴などをするのが好きで楽しかったです。でも、小学6年の夏は、別荘でも母親から中学受験の勉強をやらされ、泣きながらやったことを覚えています。
初恋は小学2年の頃、別のクラスの女の子を好きになりました。その時の、心が踊るような気持ちは今でも忘れていません。
自慢の従姉
私は一人っ子ですが、従姉がいて、昔から優しくて小さい頃から、よく面倒をみてくれました。母方の従姉で、元西日本テレビのアナウンサーで、フリーになってからは、NHK『BSニュース50』や、『日経ブロードバンドニュース』でキャスターを務めていました。
毎年夏に祖父の別荘に行く時も、いつも一緒でした。私を応援し続けてくれていて、今でもFacebookの投稿に欠かさず「いいね」をしてくれますし、HPに写真掲載の許可もくれました。本当にありがたいです。
ボディービルに目覚めた中学生の頃
中学1年の終わりから、ボディビルをはじめました。中学の時に、来日したボディビルダー「リッチ・ギャスパリ」選手と一緒に映っています。
この頃、マッスル北村さんにも会いに行きました。サインをもらったり、腕相撲をしてもらったりとても嬉しかったです。
医大生時代
大学5-6年の頃の一枚です。優等生と思われていたようで、先生に依頼され皆の前で講義をさせていただいたときの一枚です。 下記大学3年生の時にネパールの病院に1週間ほど見学にいったときの一枚です。その時、泊まったホテルのバーテンダーと仲良くなり、実家に連れて行ってもらい、手厚いもてなしを受けました。
医大生時代
スタンフォード大学に2週間、英語兼医療の研修に行った時に大学時代の親友と「日本の医療を変えようぜ!」と思いながら撮った一枚。
5年生の時に東京医大霞ヶ浦病院の麻酔科の実習に行った時のものです。卒業アルバムのために、みんなで集まった時の一枚。当時は、老け顔と貫禄、成績の良さをからかわれて「教授」とか呼ばれたこともあります(笑)勉強面では、講義ノートをコピーして配布するなど、学年をまとめる感じのポジションにいました。
下記は、大学5年か6年の時に済生会中央病院の循環器内科に見学にいった時に撮ってもらった写真ですが、すでに医者に見えますね(笑)
医師デビュー
医師になって2年目の春に、シアトルにあるワシントン大学に留学中の先生の家に行った時のものです。この頃も統計学や疫学の勉強を続け、日本の医療を変える意気込みを語り合ったりしていました。
研修医時代の同期と飲みに行った時の写真です。私が起こした事件で、当然のことですが、去って行った人も多い中、二人とも、まだFacebookでつながってくれていて感謝してもしきれません。右に写っている●●君(6歳くらい年上ですが)は、出所してすぐに、ステーキを食べに連れて行ってくれました。ご馳走になったステーキです。今まで食べたどんなステーキよりも美味しかったです。
元妻の親戚の結婚式の時の一枚。一時期着物にハマっていた時期があって、紋付袴まで揃えました。今回の引っ越し(クリニック経営難による自己破産のため)で、全て処分してしまいましたが、もったいなかったですね…。因みに私には三度の婚姻歴があります。私のような未熟者と短期間ではありましたがご縁をいただいたことに深く感謝しております。それぞれに幸せになってくれていることを願うばかりです。
私の人生で一番幸せだったとき
私の至らなさから、生き別れになった子供が二人います。一日たりとも忘れたことはありませんし、幸せに暮らしてくれていることを毎日祈っております。私は人生で何度も躓いてきましたが、その度に起き上がることができたその原動力は、この子たちです。いつか笑顔で再会できることを信じて、目の前の小さなことから丁寧に、真心込めて頑張るしかないと思っております。顔をお見せできないのが残念ですが、息子は私にソックリと言われています。親バカと思われそうですが、元妻に似て娘は美人さんです。二人ともとっても可愛いです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
中年期(30代後半~40代)
人間ドックで非常勤の仕事をしながらも、自由な時間が多くて、その時間を競技団体に関わり、スポーツドクターとして活動できていました。また産業医として企業に関わり、トレーナーと一緒に健康増進のための講座を開いたりして楽しかったです。人々に何かをお教えしたり、インスパイアしたりする活動は自分に合っていて、やりがいも生きがいも感じられます。しかし、開院し、クリニックの診療だけになってしまってからは、そのすべての活動から遠ざかる結果になってしまいました。
産業医として、国内有数の大企業、世界をリードする大企業さまにこのような講演させていただいたことは、私にとっても素晴らしい勉強の機会となりました。
メディア出演期
テレビの仕事は楽しかったです!自分に合っていたのかもしれませんね。
「中居正広のミになる図書館ゴールデン2時間スペシャル」の時の写真です。スタジオ内の様子です。
手前に写っている女性ディレクターさんは、私の魅力を引き出してくれて、今でも感謝しています。中居君と稲垣吾郎君がモニターに写っていますね!JOC強化スタッフ時代の一枚。
実は、元(公社)日本ボディビル・フィットネス連盟医科学委員・アンチ・ドーピング委員でした。
2015年4月に行なわれた、「2015アジアボディビル・フィットネス選手権日本代表候補選手選抜大会」でアンチ・ドーピング委員として、仙台の大会に行きました。JADA(日本アンチ・ドーピング機構)の人たちが来て検査を行なうのですが、そこに立ち会う仕事をさせていただきました。また、元(公社)日本ボディビル・フィットネス連盟チームドクターでもありました。
出所後
2023年12月13日、2年2か月の刑期を終え出所いたしました。二度と同じ過ちを起こさないよう、一日一日を大切に、自分にできることから社会に恩返しをしていこうと誓いました。因みに筋肉はごっそり落ちてしまいました😢
▼2024年10月16日、東都大学幕張ヒューマンケア学部看護学科で行なわれた「精神看護学の援助論」~依存症当事者の体験談から学ぶ~という講義の中で、コーディネーターで「訪問看護ステーションあんず」所長の高橋里奈さん、ASK認定依存症予防教育アドバイザーの藤原尚さんとともに講師を担当させて頂きました。
未来を担う看護師さんの卵の方たちにお話できたことは、私にとって、とても貴重な経験になりました。今回講義をする機会を与えて下さった関係者のみなさまには、大変感謝しております。